FC2ブログ

OZAKUのブログ

小作志野 公式ブログ 自分の作品と環境関連のさまざまな事を取り上げています。
TOP  >  感想

野見山先生の講演会にゆく

昨日は、同窓会主催で母校で開催された野見山先生の講演会に行ってきました。

151127-01.jpg


講演テーマの「美術学校」というのは、現在の東京芸術大学美術学部の前身の「東京美術学校」のことで、
略して美学(びこう)と言います。
この伝統が現在も残っているため、我々身内のあいだでは今でも母校のことを美校と言います。
音楽学部のことは音校(おんこう)と言います。


というくらいですから、講演の内容は超ローカルで、
ここに書くと注釈ばかりがおおくなりそうなので控えますが、
全体的に、野見山先生はいつの時代もご自身の表現に対する思いが非常に真面目で、そのご自身の中にあるこの真面目さに照らして表現と、表現にまつわる様々なことを深く感じ考えて行動されてこられたのがわかりました。

自分の中にある真面目さに照らして深く考察し行動すると、
単純な好き嫌いによる行動内容の決定とは真逆の、場合により好きではない、その瞬間の自分にとっては行きたくない方向の努力を選択することにもなります。

これを一般には「意義」とか「義務」ということばで語ろうとしますが、
そのように捉えられるのであれば、それは大方自分の外側により用意された枠組みからの判断であり、つまり自分の内にある芯のところからのものではなく、言ってみればは場合により"はめられる"こともある となる。

ですから、そうではなく、自分の内側に深く潜り、そのことにより自己という枠組みを超えた解にたどり着く習慣。
その解から実行される行動の積み重ね。
それがとても重要なんだ と感じるとともにその作用が、先生の面白おかしく話される、時にはありえないゆるさと馬鹿らしさに満ち溢れた美校とその周辺の日常風景や、先の戦争がもたらした戦後の重い体験のそこここに見え隠れし、その瞬間瞬間に確実に先生と共にあったことが感じられました。

その意味において、ジャスバー・ジョーンズが「芸術家がつくりだすものは、ゴミであっても芸術である。」という難解なことばで表現した芸術家の定義にまさに当てはまる人生を送られてこられた芸術家・野見山 暁治先生。
その貴重な生(なま)のお話しを聴く機会をいただきましたことを、先生と関係者の方々に深く感謝いたします。

野見山先生はすでに90歳代ですから、その先生が九州のご自宅から東京まで移動され、講演までされる。
その元気さに講演会も終わり退出するころには、観客としてこられたたぶん70-80歳代の元学生たちからは、
こっちのほうがヨボヨボしちゃて・・ という率直な感想も聞かれました。

もっと多くの方々に聴いていただきたい講演会でした。

スポンサーサイト
[ 2015年11月27日 21:15 ] カテゴリ:感想 | TB(0) | CM(0)

どのように捉えるか? - その1 -

本日は、三越前にユアン氏の作陶展を観に行った時に話した内容を書きます。(時間が取れないので、前半のみとなります。)

ユアン氏の作品には、その表面に縄文のような模様が刻まれていて、しかし全体の色やフォルムは轆轤(ろくろ)を使った弥生式に近く見えたので、縄文についてどのように思うか質問した流れの中で、縄文はとても彫刻的で、自然のリズムの中にあると思う。自分の作品は、それよりも用の要素が強い。しかし、自分も自分を取り巻く周りの環境との一体意識を持つことで、現代社会に生きるほとんどの人が持つ行き過ぎた個人主義とは異なる生き方ができると考えており、焼き物をやっているから土もいじるし、自然との一体感は重要だと思うから自分は極力そのようにして生活も制作もしている。陶芸の炉も、石油や電気ではなく少ない廃材を燃やして高温にできるタイプのものを考案し使っていると話してくれました。記憶で書いているので、食い違うといけないから氏が話してくれた内容はこの程度にとどめますが、このようなお話しを聞き、環境との一体感についての考え方に私が考えていることとの同質さを感じたので、私が考えるモデルを聞いていただきました。

以前にもこのブログに書いたような気がしますが、私はある時ふと地球の物質の量を考えていて、地球から出て行くものと、地球にはいってくるものは何かと思いました。

出て行くものは、確か軽い水素。入ってくるものは、隕石などのようなものかなと。
どちらにしても地球全体からしたらかなり微量ですから、そう考えると地球は閉じた物質圏と言えそうです。

するとこの閉じた領域内で物質を構成する最小粒子は、あるときは石になったり、またあるときは水になったり私の体になったりして、刻一刻とその在り様を変えつつ流動し我々が地球と呼ぶ一処に留まり続けていると考えられるため、その意味からすると、今私を構成している粒子は地球の一部だからつまり私は地球だし、地球は私と言えるのではないか? と。

その地球でさえ、もっと長い時間の中では地球でない時も当然あって流動の状態にあるのだから、
そうか、私は宇宙なんだな と思ったりするのです。

このモデルは、以前このブログに書いた「つぶつぶメガネ」の思考実験モデルと根本のところは同じで、粒子サイズまで拡大した感覚でまわりを見られる「つぶつぶメガネ」をかけて個別の物として見えるものを見たら、実は全体はこれら粒子のまざりあった1つのものに見える と言うのが「つぶつぶメガネ」のモデルで、時間の経過の中でどのような形状にもなりうる粒子を考えるとそこに地球全体や宇宙全体が立ち現れてくる というのが今回のモデルです。

そしてこれらは物質面のモデルですから、もうひとつ精神とか魂とかそういう非物質のモデルが必要な気がしてきますが、その有り様はどんなものだろう? 
[ 2015年11月18日 10:10 ] カテゴリ:感想 | TB(0) | CM(0)

ミニオンズ

映画「ミニオンズ」を観に行きました。

本日の内容は、多少ネタバレあります。






この予告編をみたとき、観に行きたくなったのです。
ピラミッドの辺にもきちんと切り込みが入っているし、

古くから地峡上に存在し、小さくて、黄色くて、寸胴で、メガネ率が高く、何言っているかわからなくて、集団で行動し、目標が決まると働き者で、静かにドアを閉められる繊細さも持ち合わせていて、キュート。





脱いでいるミニオンは白人ではなく日本人の親父のハゲ方だなあ..


ミニオンって・・・ たぶん日本人なんだろう..

これは観に行ってみよう !  という訳です。
造形的には、海女さんかな?


作った会社は、イルミネーション・エンターテインメントというユニバーサル・スタジオの子会社で3Dアニメを作っているところ。-wiki


2007年、20世紀フォックスでアニメーション部門を立ち上げ『アイス・エイジ』や『ザ・シンプソンズ MOVIE』などを手掛けてきたプロデューサー、クリス・メレダンドリ(Chris Meledandri)が独立し設立。-wiki

アメリカでアニメというと普通はKAT-TUNだから、当然本作もギャグアニメです。

あいにく吹き替え版しかスクリーンにかかっていなくて、少々残念でしたが、
この題名「ミニオンズ」。 Webで翻訳すると「手下達」とか「手先達」なんですよ。
ミニは"小さい"の意味ではないのです。


そして、ここからは私の解釈ですが、
たぶん映画の「ミニオンズ」は、地球上から最強最悪の悪党を駆除する役目を無自覚に持って生まれてきた生物ではないでしょうか。でも無自覚だから、本人達はまったく別の目的で一生懸命努力していて、次々失敗している。
これは、あたらしい質の"正義の味方"な気がします。

今現在のボス、怪盗グルーが生き延びているのは、途中で本人も気づかないうちに本質が変わっているのが原因な気がします。

その事はこれからの人類と地球の有り様を暗示するかのようで、その意味で、ようやくミニオンズの活動の方向性が本質的に変わるのが、本作の後の現代を扱った2本の作品なのかな? と思いました。これらは見ていないので予測でしかありませんが。


ところで、ミニオンズには3人のミニオンの主人公が出てきます。

彼らをよく見ると、

スチュアート --> 年長者 --> ミニオンズに希望を与えるために新しいボスを見つけに行くと提案。 --> 本音と建前 --> 本心 : ヒーローになりたい。
ケビン --> ティーンエイジャー --> 周りで何が進行しているかわからない。 --> 自分の欲望だけ --> 本心 : スターになりたい。
ボブ --> 幼児 --> スチュアートの計画を真に受けている。 --> 純粋 --> 本心 : みんなを救いたい。

というわけで、実は見た目とは裏腹に、もっとも純粋に行動しているのは幼児のボブで、
だから、人間の赤ちゃんやネズミから有効な情報を得ることもできるし、アーサー王の剣を引き抜けるし、一瞬イギリスの王様にもなったのです。

これは、日本人云々は脇によけて、地球人の質が変わると暗示的しているのだろうか? と思いました。
ついでに書くと、ボブだけ瞳がオッドアイです。

もし日本人がこのように見えているなら、ミニオンに創造性をプラスしてほしかったなあとも思いました。


「アイス・エイジ」もそうでしたけど、ピクサーよりも残忍さがあるものの、共感度は高い作品です。


ちょっと時間がないので今回はこれくらにいして、後日書き足したりするかもしれません。
[ 2015年08月07日 13:16 ] カテゴリ:感想 | TB(0) | CM(0)

さくじつは日曜

いつもの趣味の話しですが、
昨日は日曜だったので、BBC製作のピンク・フロイド番組を観ていました。
1時間もあります。





本では読んでいたけれど、映像でみたのは初めての場面もあり興味深かったです。

晩年の4人のインタビュー映像が挟まっている構成で、
その場面の背景も含めその落ち着き具合から、
やはり音に向き合っていたのはリックとギルモアだったんだろうなと思いました。

グループにどのように貢献したかとかその量などはどけた私の印象は、
ロジャーは、ロックスターになりたかった。
ニックは、よくわからないけれど、
ギルモアは演奏家で、
リックは音楽家だった。

総じて品位は重要で、それは歳をとればとるほどそれまでに積み重ねてきた人生の質が表面化するようで..
歳をとり、すべてがだるくなってゆく状況においては、表面だけであっても取り繕い続けられるはずもなく、
それ故、他者からの目線を前提にした行動 ではないという意味で真の探求者である事が日常になっているかかどうかが姿形に如実に具外化されるものだなあと感じました。
ラウシェンバーグの"芸術家の吐き出すものはすべて芸術である" が聞こえてきます。
「芸術も生活も作ることはできない。われわれは、その間の、定義しようのない空隙で仕事をしなければならない」
-ロバート•ラウシェンバーグ-Wikipedia
[ 2015年07月27日 08:47 ] カテゴリ:感想 | TB(0) | CM(0)

新国立競技場について

ここのところ話題になっている新国立競技場ですが、
このブログでは2013年9/14に取り上げています。

新国立競技場のイメージ-2013.09.14-ozakuのブログ


この時に書いたように、やはり 敵は内にアリ だったなあというのが感想です。


一度決めたものを。しかもオリンピックの顔を「やっぱナシ」とは。。
よくもまあこんな恥ずかしいことをするものです。






東京は世界的に有名なメガロポリスですが、
わざわざ飛行機に乗ってまで世界から人が見に来る現代の建築物がありません。
ですから、今回のスタジアムは日本の建築技術のチャレンジ&見せ場ともなりますから、
私はやっぱり、ザハ氏のイメージで建設された風景を見たい !  と今でも思っています。

お金の話しは、
北京オリンピックもロンドンも、今回の競技場の当初予算の半分以下の建設費用でできているのですから
それらの2倍+αが当初予算で組まれていた今回のスタジアムのゴタゴタは、
戦後からの日本の悪しき伝統による中抜きや便乗が原因ではないでしょうか。
福島原発の重要な作業をする原発作業員の日当でさえ、そんなことをしているのですから。。
しかし、そろそろそんな風習は終わりにしないと、世界にご迷惑をお掛けするうえに日本の信用も失ってしまいます。。。

繰り返しになりますが、
なぜ、日本の悪しき伝統を国際的にあらわにするようなことを、わざわざオリンピックでやってしまうのか。
私も日本人ですけど、恥という概念は日本文化においては重要な引き締めの要素で、それによって背筋が伸び質が向上していたハズ と思うと、なんだか全然理解できません。


p.s.
この映像を見ていたら、この人のドローイング作品を何かで見たことがありました。



ロシア・アヴァンギャヤルドの絵の3D版みたいな作品だなあと思った作品です。
名前を覚えないタチだから、ようやく繋がりました。
BMWの工場もだったんですね。まったく世間しらずなもので..
[ 2015年07月19日 15:44 ] カテゴリ:感想 | TB(0) | CM(0)
Lc.ズームバー v2
ズーム: 100% → 100%

プロフィール

OZAKU

Author:OZAKU

ライトに読める文章の修行をしています。

現代美術作家・表現とコンピュータに関する研究者・「ほりきりん」線形作者・公式HP略歴はこちら

3.11後は、身の回りの環境問題として放射能関連も。
Free area
PDFファイル配布中

ほりきりん絵はがき ほりきりんのし紙
検索フォーム
月別アーカイブ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

アクセスランキング
[ジャンルランキング]
日記
3378位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
1748位
アクセスランキングを見る>>
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR